今日の俺は、どうかしている。


「それでね、その門下生さんったらね」

箸を片手に明快に話し続ける彼女。
午前中の出稽古先で出会った男について、延々と。
あと一口残った白飯は、一向にその小さな口に運ばれない。

普段なら食事中の彼女との会話は張りつめた心が安らぐ大切な時間。
彼女のコロコロ変わる一挙一動を真正面から見つめられる唯一のひととき。
弥彦がいない今日のような日は、特にそれを噛み締められる。
――はずなのだが。

今日は違った。
門下生の男について語る彼女の話を聞いているうち、
次第に頭がイライラしてくる。胸騒ぎが起きる。
こんなことで苛立つなど、俺としたことが情けない。

しかし、それでも、耳障りだった。
己の知らない彼女の姿を知る輩の存在など。
そんなに楽しそうに語らないでくれ。
俺以外の男に、愛想を振り撒かないで。



「薫殿、すまないがそろそろ片付けたいのだが」

会話の切れ目を狙ってふいに言い放つ。
無論、彼女との会話を中断したいわけではなかった。
ただ、これ以上その男の話を耳にするのは耐えられない。



「あ・・・御免なさい」
瞳をぱちくりとさせ、急いで茶碗を手にする彼女。
残った白飯をもぐもぐと飲み込んだ。

途端に居間全体に静けさが宿る。
耳に心地よい彼女の声が絶たれるだけで、
こうも空気が重苦しくなってしまうのか。


「御馳走様でした」
ぱちんと手を合わせ、ご丁寧にお辞儀まで。
長い黒髪がぴょこんと跳ねる。
稽古後に水浴びしたからだろう、
洗いたての髪の香りが飛んでくる。
ドキリと、させられる。


「剣心」
「何でござるか」


「私の話、退屈だった?」
恐れるような眼差しで俺の顔を覗き込む。
どこか傷ついたような表情に胸が痛む。
ああ、その過失は俺にあるというのに。

「そういう訳では・・・」
でば何が理由だというのだ。
そんなこと重々分かっている。
彼女が欲しい言葉も。

だが後が続かない。
沈黙を覆うように食器に手を伸ばした。
空のそれを重ねるたび、カチャリと皿が音を立てる。
まるで答えを急かすかのように。


言葉を濁して黙々と食器に目をやる俺に愛想を尽かしたのだろうか。
「今日の後片付けは私がやるね」
彼女は俺の手から食器を奪い、パタパタと小走りで居間を出ていった。





午後の日差しが、入道雲を突きぬけて容赦なく降り注ぐ。
セミの鳴き声の他には何も聞こえない。
洗濯物を干し終えた俺は、どこかこの光景に違和感を抱いた。

――ああそうか。
普段は縁側にいる彼女がいないから。
ここで他愛無い会話をするのが日課だったから。


弱ったな、と頭を掻く。
俺はいつからこの日常に染まってしまったのだろう。




「薫殿」

部屋で裁縫にいそしむ彼女に声をかける。
小さな背中がぴくりと動く。


「・・・甘味処にでも行かぬか」

彼女の顔がこちらを向いていなくてよかった、と思う。
自分から彼女を外へ誘うなど初めてのことで。
こんな台詞、眼が合ったらきっと言えていなかった。

本来なら食事中のことを謝りたいところだが。
これが精一杯の一言、だった。
己の不甲斐なさにつくづく嫌気がさす。
男の話題を不快に思うのもきっと止められない。

でも。
君をもっと見つめていたい。
この視界に閉じ込めていたい。
だから。

「先程の話の続きを聞かせてほしい」




目を見開き、驚いた面持ちで振り返った彼女は。

「うん、行く。行きたい」

瞬時にその頬を薔薇色に染めて。
キラキラした瞳をより一層輝かせ。


「私もね、剣心ともっとお話したいなって思ってたの」


零れる笑顔でそう答える。
自分の言葉に後から照れる姿がいじらしい。
感情をそのまま表現できる君が羨ましい。

ちょうどそのとき雲間から刺した太陽の光を浴び、
より明るくなった彼女の姿を、目を細めて見つめる。

ああ、かなわないな、と心底思った。
(君は俺の心をそっくり盗んでしまう)


着替えてくるね、リボンはどれにしようかな、と駆け抜けた彼女を、
そのまま永遠に自分の元に繋ぎ止めてしまいたかった。


本当に俺は、どうかしている。