「落ち着いたようですね」
「・・・うん」
すすり泣く薫の手を引っ張って宗次郎が連れてきたのは、
街外れにある、見晴らしのいい土手だった。
ずっと先には澄んだ川の流れがきらめいている。
宗次郎と薫は、柔らかい草むらの上に並んで座った。

どこか懐かしい光景にぼんやりと瞳を開けた薫は、
ハッとあることに気づく。

そう、此処は、いつぞや薫が剣心に想いをうち明けた場所。

あの時と同じように傾く夕日はまるで絵のように美しかった。
赤く、煌々と落ちていく輝きは、どこか彼のことを思い起こさせる。
途端に先程までの会話が蘇り、心にチクリと針が刺す。

「・・・ねえ宗ちゃん」
「なんですか、薫ちゃん」
「好きな人ができた時、宗ちゃんはどうなる?」
「どうしたんですか急に」
「知りたいの。教えて?」
ちょこんと首を傾げる薫。

「そうだなぁ」
宗次郎は隣に座る薫から視線を逸らし、おもむろに夕空を見上げた。
「その人の空になりたくなる」
「空?」
「太陽を浴びせて、風を吹かせて、たまには雨も降らせて。
その人の毎日を包み込むような存在になりたくなる、かな」
「それって、その人を守るということ?」
「ええ。でも、厳密にはそれだけじゃない」
「?」
「その人を守ることで、二人の未来を守るんです」

薫は目を見開く。
未来を、守る―?

「大切な人だから、危険から守る。心配する。
だけど、それにはもっと深い意味がある」
「・・・・・」
「その人と築き上げる、共有する未来をも、守っているんです」
「共有する、未来・・・」
「そう。だから、お互いが自分を守らないといけない。
だって好きな人とはずっと一緒にいたいでしょう?」

宗次郎の言葉に、薫は一瞬たじろぎ、そしてコクリと頷いた。
その横顔を優しく見つめる宗次郎。

「お互いが意識し合わないと、未来なんて一瞬にして崩れますから。
だから結果的には二人で守りあってるのかもしれないですけど」

あれ?矛盾してるかなぁ?と宗次郎は笑いながら草むらに寝転ぶ。
「でも、そんな風に思うのが好きっていう感情だと僕は思います」

薫は静かに宗次郎の言葉に耳を傾けている。
表情は逆光で見えない。
代わりに、艶やかに揺蕩う黒髪が夕日に照らしだされる。
その様子に宗次郎は吸い込まれるように見惚れてしまう。
が、暫しの沈黙を経ておもむろに身を起こし、その場に正座した。


「薫ちゃん、僕・・・」
「ねえ宗ちゃん」


薫がそっと宗次郎の手の上に自分の手を重ねる。
その行為にドキっとし、宗次郎はふと言葉を飲み込んでしまう。
そんなことに気づきもしない薫の表情は、
さっきまでの泣き顔とは打って変わって、
痛みを残しつつも晴々しいもので。
そっと、でも凛とした声で、言った。


「私、間違っていたわ」

さっき宗次郎がそうしたように、薫も空を見上げる。
「自分を守ることは、誰かを守ることでもあるのね」

「薫ちゃん・・・?」
「私ね、好きな人がいるの」
俯き気味に、頬を染めながら、伝える。
あ、誰かは内緒なんだけどね。と釘を刺し。
「あのね、その人のことを守りたいって、ずっと思ってるの」

強くて、弱い人だから。
幸せになってほしいと願うから。
そんなの勝手で、迷惑かもしれないけど。

「でも、その人の信念とか、そういうのも全て、守りたいの。
だから私も強くなりたいって思っているの。人助けだってしたいの」

――そして、願わくば、ずっと一緒にいたい。
そう願ってやまないのよ。

「でも今、宗ちゃんの話を聞いて気づいたわ。
誰かを好きになるということは、その人との未来を守りたいということ。
そのためには、自分のことも守らないといけないのね」

薫はすくっと立ち上がり、零れる笑顔で宗次郎を射抜いた。

「ありがとう、宗ちゃん」


ふっ、と宗次郎は自嘲気味に笑った。
目の前の少女を絶望のどん底に突き落とすのも、
こんな幸福に満ちた表情に変えてしまうのも、
この世にはたった一人しかいない、のだ。
何もかも自分より先に手にしてしまうその存在に
悔しさを抱きつつ、どこかで分かっていた自分にも気づく。
先程言いかけた言葉が日の目を浴びることはもうない。
なぜなら。

「さっきの話」
薫の横に立ち、肩にぽんと手を置きながら耳打ちする。
「教えてくれたのは緋村さんなんです」
「え、そ、そうなの!?」
「直接言われたわけじゃないですけどね。どうですか?
緋村さんの恋愛観を知れて良かったでしょう」
「べ、別に剣心の考えなんて興味ないけど」
「へーえ」
「な、何かしら」
「あはは。だから、薫ちゃんの恋もうまくいきますよ」
「どどどどうしてそうなるの?」
「そのまんまの意味ですけど?」
「ちょっと宗ちゃん!からかわないで!」
「弥彦くんに似てきたのかな?」
「もう!」
真っ赤になる薫の表情を、たくさん目に焼き付けて。


「あっ」
「どうしたの?」
「しまった。僕、さっき薪割りしていたら怪我しちゃったんです」
「どこ?」
「ここです。ちょっと歩きづらいなあ」
「まあ、打ち身になってるじゃない。気付かなくてごめんなさい。
待ってて、そこの川で手拭いを冷やしてくるわ」
「ありがとう」
「そこに座っていてね。すぐ戻るから!」
「・・・ありがとう。薫ちゃん」
パタパタ土手をくだっていく薫の後姿を愛おしそうに眺め。
そして。


「さあ、僕の出番はここまでですよ」
ふっと笑いながら草村に聳える木の後ろに話しかける。
「出てきたらどうですか?緋村さん」